特技:弁論

高校時代に校内弁論大会がありましたが、クラス代表として選出され、1,2年生が観衆となった体育館で弁士として発表しました。結果として準優勝となり、自分の人生のなかでも大きな想い出となっております。
今でこそ言えますが、弁論の内容は「小さいことにくよくよするな!」という書籍を読んだ所感がベースとなっていました。
幼少期から身体が強くなく、思春期に思い悩むことも多かった自分自身が、この書籍を読んだことで気持ちが救われた、その想いをたまたま弁論の題材として盛り込んだだけでした。
実際のところ、弁士として出たい気持ちも最初はなかったです。
それが、当時の先生から「お前の内容、俺は良いと思うんだよな。クラス代表として出ろよ。」と背中を押していただき、ならやってみるか!と奮い立ったことは懐かしい記憶です。
また発表当日、自分の番を待つ際に足がプルプルと震えていたのも鮮明に覚えております。
あんなにも震えた経験は、社会人となり40歳を超えた今から過去を振り返っても当時の1回のみです。
あの経験は私を成長させてくれました。私をクラス代表として声掛けしてくれた先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。
また社会人になってからも、全国の弁論大会には一度参加しました。
今度は自分の意思で応募しています。題材としては、このときも仕事の悩みに関する実体験に基づいた内容で臨んでおりました。
やはり悩むことの多い人生というのが所々表れていますが、何事も行動に移すといった私の内面も垣間見える部分かと思います。
大会自体は、全国ともなると各段にレベルが高く、弁士だけ取ってみても、上には上がいると考えさせられる経験となりました。
そこから、自分だけのテリトリーで収まるのではなく、全国のあらゆる分野の猛者たちとも勝負していくことが、客観的な自分の能力を計るにはちょうど良いのだろうと感じました。
上記の弁論経験は、仕事をするうえでの土壇場での強さとして、活きていると実感しています。
趣味:マラソン
自己ベスト
- 10km:35分52秒(2011年 安城シティマラソン)
- ハーフ:1時間19分31秒(2010年 足羽川マラソン)
- フル:2時43分55秒(2012年 いびがわマラソン)
- 100km:8時間26分15秒(2012年 北オホーツク100kmマラソン)


直近記録
- 10km:43分45秒(2026年 南木曽町・妻籠健康マラソン)
- ハーフ:1時間39分02秒(2026年 恵那峡ハーフマラソン)
- フル:3時間29分08秒(2026年 丹波篠山ABCマラソン)
- 100km:なし
私はどちらかと言うと多趣味ですが、そのなかでもランニングが特に好きです。

元々痩せており、長距離に向いた体形をしていることもありましたが、一人で黙々とやれることが自分の性格的にも向いているのだろうと思っています。
本格的に行ったのは20歳ぐらいでした。何か本気でやりたいなという気持ちから始めました。
練習を始めると記録は伸び、面白さは感じていました。練習は辛いのですが、頑張った分、記録として表れることはやりがいに繋がっていました。
努力は裏切らず、市民大会ですが何度か入賞することもでき、表彰台から風を感じられることは嬉しかったですね。
そんななか、転機が訪れたのは30歳頃です。腰痛が気になってきていました。それでも練習は続けていたのですが、悲劇が訪れます。
自宅で、ふと腰を上げた瞬間に何かが内面から漏れる感覚があり、突然立ち上がることができなくなったんです。
腰椎椎間板ヘルニアでした。重症な部類に入り、手術は2回行いました。結果として言うと、手術をしても腰痛はあまり良くならなかったです。

もうその頃にはランニングウェアを着るだけで変な汗が出始めており、身体が本能的に走ることを拒否していました。
イップスのような症状だったのでしょうか。流石にもう無理だなと思い、30歳前半のフルマラソンを最後と位置付け、走ることは完全にやめました。
その後、鑑定士になったり、仕事での色々な経験を積んだりしていたら月日は過ぎており、約10年経っておりました。
2回目の転機は40歳過ぎです。人間ドックで様々な数値が悪くなってきました。
これは運動もしなければマズいと思い、軽いジョグ程度であれば走れるかなと、久しぶりにランニングウェアを着て練習しました。

そうしたところ、10年前には痛かった腰痛がほとんど感じなかったんですね。せっかくなので、久しぶりに市民大会にも出ることにしました。
しかし、タイムとは嬉しさと同時に残酷でもあり、大会に出ることで筋力が衰えた自分がはっきり分かってしまい、情けなくなるときもありました。
それでも今は、過去の自分を超えることが生涯かけての目標と位置付け、コツコツ練習しています。